笑ってなくても許されたのだろうけど、
私は人前で笑うことしかできなくて、
そのはけ口が詩や写真に向いた。
もうすぐ学生生活が終わる。
これまで溜めた感情を整理したくて、
年末の展示には敢えて死に関係のある作品を出した。
これまで撮った写真の横に、3つの詩を並べた。
1つ目は最初の友人達の死のこと、
2つ目は悪友の死のこと、
3つ目で結局それらを受け止めていくしかないという結論にした。
12月初旬から展示して、26日に作品を撤収するはずだった。
撤収して、全て捨てるつもりだった。
12月25日に、父親代わりだった祖父が亡くなった。
まだ何も整理し終わっていない。
いま何も浮かんでこない。何も作れない。
忙しいからじゃない。
前より笑うのが上手くなったからかもしれない。
笑って、楽しくて、忘れそうになる。
そして何かが重く溜まっていく。
小さい時に死んだ友人達は、
みんな天使になったんだと思うことにした。
高校の時に死んだ悪友は、
いつまでも子供っぽい奴だったから、
永遠に大人にならない道を選んだのだと思うことにした。
数年かけて、そんな言い訳ができるようになった。
彼らの知らない階段を昇りながら、
自分が置いていかれたような気さえした。
祖父が死んで、今、何も言い訳できない。
初めて死という物に正面から向かいあった気がする。
何に頼っても昇華できない不安がある。
小さい骨壷を買ってきた。
こっそり持ってきた骨を入れて、写真をおいて、
ほったらかしててごめんね、と声に出してみた。
すごく白々しい気がした。
多分おじいちゃんはここにはいない。
ヤケを起こそうとは思わない。
最期におじいちゃんは私を思い出してくれた。
神様とか仏様を信じて、日を重ねれば忘れられるのかもしれない。
良いおじいちゃんだったと、いつか懐かしめば良いのかもしれない。
きっと、それはそれで後悔はしないのだろうけど。
おじいちゃんが飼ってた犬達の、ギラギラした目を思い出した。
最後の最後まで眼光を失わず、おじいちゃんにだけに従った。
荒々しいのに、何故か貴婦人みたいだとおばあちゃんは言ってた。
繋がれているのが嘘のように、野性を無くさなかった2匹。
いつもどこか遠くを見て、綺麗な横顔が私を認めてくれる事はなかったけど、
彼らの迷いない瞳が、私に言い訳を許してくれない気がする。
ふと、吉野に帰りたくなった。
昔住んだ家には、二度と足を踏み入れるつもりはないけど。
今考えれば一番平和な場所だった。
近くに住んでみるのも良いかもしれない。
毎日じいちゃんや犬と登った山に、もう一度登りたい。
滅多に日が差す事がなく、いつも静かな林。
頂上までの長い道を、多分まだ覚えてる。
ささやかだが、自分にとっては一連の問題が全て解決する額だった。
学費免除の申請に落ちて、
就職に当たっての引越し代、来月の生活費その他が足りなくなった。
稼ぎ切れなかったら、サラ金か友達に借りるつもりだった。
どう計算したのか、足りなかった額とほぼ同じ額が封筒に入ってた。
そもそも大学院に進学していた事を、
父親が知っていた事自体が不思議だった。
子供じみた意地なのかもしれないが、
学費から生活費まで全部自分で稼いでるという事が、
自分の誇りで、自信でもあった。
何より父親は、今まで会った人間の中で特に最低だと思っているので、
矜持が傷つけられていないと言えば嘘になる。
でも、どんな金でも金は金。どんな親でも親は親。
ありがたく使わせてもらおう。
金が届いてから、昼間のバイトを全部辞めた。
引越しの準備、遠くへ行ってしまう友達との約束、その他いろいろ。
時間はいくらあっても足りない。
プライドで時間を買えるなら、安い物だ。
最後に父親に会ったのは5年ほど前。約10年ぶりだった。
再婚して生まれた息子さんはかなりやんちゃなのだそうだ。
「あいつは運動神経は良いんだが、頭はあまり良くないみたいでね。
あなた達みたいに出来が良ければ良かったんだけどね。」
なんだか照れて笑って、
父親らしい顔をしていた。
そうか。私と弟は出来が良いと思われていたのか。
ちょっと驚いた。
物理学者で、金のためなら兵器の研究もやるらしい。
熱くもなければ冷たくもないけど、
人間味を感じた事はなかった。
かなり小さい時から敬語で話していた気がする。
自分は父親のように頭は良くない。要領も良くない。
必死で考えて、必死で喋って、やっと人並みの事ができる。
昔のように私を見下してなかったとしても、
なるべく私の人生には関わってほしくない。
おじいちゃんを安心させるために就職先を見つけた。
今のままでも普通に生きていけるし、
結局、おじいちゃんを安心させる事はできなかったけど、
ちゃんと見つけておいて良かったと思ってる。
多分、1人で生きていける。
泣き言を言うのは出来ればこれで最後にしたい。
名ばかりの喪主が、祖父の亡骸の前で業者と喧嘩してた。
入れ歯が抜かれて、骸骨みたいになった祖父がいた。
いつもと同じ部屋でいつも通りの姿勢で寝てた。
それでも、違う人だった。
飛行機の中で想像して泣いた死は、
誰か別の人の死だった気がする。
飛行機で2時間、それから特急を乗り継いで2時間、
なんでそんなに時間がかかるのか意味が分からない。
着いたら、冷たく固まってて入れ歯は入らなかった。
その夜は、祖父の布団の横に布団を並べて
母と弟と祖父と4人で寝た。
夢には何も出てこなかったけど当然だと思う。
あの世に行ったとか思えない。
この世からただ消されてしまっただけのような気がする。
神様仏様を信じてれば良かった。
拾骨の時、祖父の骨を前にして、
喪主と火葬場の人が世間話を始めた。
ガンを患った人は、薬で骨がボロボロになるのだそうだ。
「この人はそんなに強い薬は使ってなかったみたいだねー。
運動やってたんですかね?骨格がしっかりしてるねー。」
手で触ったらやけどした。
脆くてすぐに崩れる感触に吐き気がこみあげる。
白い骨に、菊の色素がついて綺麗だった。
覚悟はしてた。
でも、こんな事までは想像してなかった。
母は、焼却炉から引き出された仰向けの骨を見て、
小さく悲鳴をあげたあと、ずっとうずくまってた。
母はずっと祖父の看病をしてた
母が祖父のヒゲを剃ってる間に息をしなくなったらしい。
泣きながら何度も謝ってた。
私と弟だけが、ちゃんと骨を拾えたと思う。
久しぶりに会った弟は、震えもせず歯を食いしばってた。
私達は、一応まともに大人になったと思う。
二人とも料理は祖父に習った。
囲碁も将棋も麻雀も、犬の世話の仕方も習った。
父親がいなくてもどうでもよかった。
2日前に就職が決まった事、会ったら言うつもりだった。
あと3日、待ってほしかった。
母は、自由に生きれば良いと言う。
自分もそう思ってフリーターでもするつもりだった。
でも祖父は、一度は社会に出たほうが良いと言う。
祖父を安心させるために就職活動してたのに。
弟だって、喪主よりも立派な態度だったのに。
葬式が終わって、弟が逃げるように自分の家に帰った。
初七日とやらが終わらないうちに母を祖父の家から連れ出した。
温泉に入ったりして、ゆっくりドライブしながら宮崎に戻った。
関西から九州。半分も運転してないけど、少しはうまくなったと思う。
宮崎で、バイトの休みいっぱい使ってダラダラ過ごした。
二人で温泉もいった。
何事もなかったみたいだ。
正月なのに相変わらず母と映画ばかり見て、
どのシーンが良かったとか他愛ない話を続ける。
母は泣くきっかけを探していたんじゃないだろうか。
立ち直ってるはずがなかった。
一緒に泣けば良かったんだろうか。
泣いたらどうなるか分からない。
母を心配する振りをすれば落ち着く。
母が、そういえば、と言った。
大学に入る時に私が借りた教育ローンを、祖父が全額返済したのだそうだ。
ここ数年の祖父は、動かなくなった祖母の面倒を見続けて、
料理も家事も祖母の下の世話まで全部自分でやって、
私がたまに帰っても祖母の話ししかしない。
もう祖母の事以外は見えてないんだと思ってた。
いま、何を思えば良いのか分からない。
まさか思い出してくれてたとは思わなかった。
ちょっと前に親を亡くした友達がいて、
最近はその人に会うために学校に来る。
別に前から特に親しかったわけでもないし、
お互い論文が忙しくてその話しかしないけど、
何故かちょっと落ち着く。